2010年12月 2010年12月 2010年12月 2010年5月 2010年4月
●原田そよ 「永瀬清子が生誕してことしで104年になる今日、生家がきちんと保存されていれば、偶然でもよい、そこを入り口として多くの人に生家としての作品の背景を感じてもらえる。生家は、その人と作品を1本の糸でつながった生きたドラマとして見せてくれるはずである。中略。文化や思想は社会環境や自然環境と無関係には存在しないということである。それを考えると、彼女が詩の世界だけに閉じこもることなく、ひたすら自由にあこがれ、岡山県詩人協会初代会長となったり、世界連邦平和都市協議会で活躍したりを理解するには、永瀬清子の生家は極めて重要な入り口である。一般の人にとってあけ放たれた入り口が見えるだけでよい。そのような入り口がなければ、永瀬清子を知ることも、接することも、本質に迫る道への探検もできないと思う。それほどに生家などという文化財は個人を離れて、地域全体のものなのだ。それが理解できなければ、大切なものもすぐ消えてなくなってしまう。生活の悩みも芸術や文芸の悩みも、それら単体の中では決して解決できないと同じように、それを取り巻くものの中にこそ解決手段は転がっているのである。浅口市の仁科芳雄生家にしても、福島県の野口英世生家にしても、その現場に立つことによって初めてその時代のその人の舞台の中に自分が入場を許され、多くのものを五感で受けとめる体験をする。その感じ方の豊かさこそが今後の日本の豊かさそのものになっていくはずである。」 以上の文章は、吉備国際大学教授の臼井洋輔さんが永瀬清子生家保存の意味と題して寄稿されたものの抜粋です。 御存じのように、永瀬清子生家保存会が設立されて6年余り。厳しい財政の中で、仮屋根の設置、井戸の修復、庭へのアプローチの整備、母屋1階の部屋の畳がえなどに取り組んでいます。また、詩の朗読会の開催、永瀬清子の里のウオーク、募金活動など、献身的な努力によって活動が取り組まれています。 さらに、このたび登録有形文化財への申請を行っています。登録の基準は(1)国土の歴史的景観に寄与しているもの、(2)造形の規範になっているもの、(3)再現することが容易でないもので、建設後50年を経過していること。以上の基準は満たしておりましたが、保存状態が悪いという理由で断念したところです。県の文化課の担当者は、建物を評価してくれただけに残念だったようです。 そこで、建築士と具体的な話を詰めたところ、減築という方法があるということです。母屋の半分弱の部分だけを再生し、残りは倒す。それによれば、5,000万円弱くらいでできるということです。以前までは大屋根すべての改修を行えば約1億円と言われていましたが、現実的な保存方法を詰めていくことによって、少しでも早く傷みをひどくしない間に修復できるようにしたいという熱意がこもっています。 真備町にある横溝正史の疎開先の家が保存されていますが、真備町は観光資源として活用されて、多くの観光客が映画の撮影現場で記念写真を撮りに来るそうです。この永瀬清子の生家も観光資源としての活用も念頭に置いて計画することで、何年か後には補修費用のもとが戻るようなプランを立ててはいかがでしょうか。 例えば、瀬戸のキリンビールは年間5万人の観光客を受け入れています。コースは有馬温泉や湯郷温泉などと組み合わせているようです。ここに熊山まで足を延ばして、生家見学会、地元の農産物や加工品の販売も可能です。熊山は市内唯一のJRの駅がある立地から、永瀬清子の里づくりによって、散策コースや熊山登山など、熊山のあるがままのよさをこれからの観光資源として生かす発想がまちづくりの出発点になると思います。費用は数年間に分割すれば、貴重な観光資源を新たに設置できるのです。保存会としても、あらゆる基金や補助金を探したりして、熱心に努力されています。赤磐市にとって郷土の誇れる詩人であり、芸術、文化の世界で活躍された永瀬清子さんを顕彰するとともに、地域の観光資源として生かせる計画をつくっていくべきだと思います。いかがでしょうか。 ▼井上市長(答弁) 続きまして、永瀬清子の生家保存についてですが、旧熊山町時代より親族等よりの申し出をいただいておりますが、個人所有の施設であり、また文化遺産としての位置づけがなされていないことなどから、生家保存に向けた御支援には応じかねる旨の回答をさせていただいております。現状の生家においては、保存状態が良好であれば、すぐれた町家の建築物であると認識しております。 次に、永瀬清子の里づくり事業といたしまして、永瀬清子さんの人と作品の顕彰と、それを通じて豊かな心を醸成することを目的に、遺品の整理と展示、小・中学生を対象とした永瀬清子賞の募集と表彰など取り組んでまいります。 また、立地を生かした観光資源としての計画づくりということでありますが、このたびの国民文化祭の提案事業として取り組まれたあかいわアートラリー2010のように、市内各地に点在する既存施設や自然を含む観光資源を生かしながら、民と官が協働し、地域住民参加型の事業を展開すべきと考えております。 ●原田そよ 御答弁を聞いておりますと、これは市長の発想の御答弁とは到底思えない。永瀬清子を文化人、地域の文化関係の偉人として顕彰したいと、学校でも使いたいと、そういう展示もしたいと。それですと、私が申し上げた趣旨と全然違う結論になっているわけです。先ほど来、申し上げていますように、これは11月13日付の山陽新聞で取り上げられておりましたが、oniビジョンが古い町並みを生かそうということで、パネラー3人を集めて、テレビで放映されたものが新聞記事に載っておりまして、気がついたんですが、ここでは岡山県内で古い町並みから文化を発信する取り組みが注目されていますと。岡山市北区の出石、足守地区、それ以外にも真庭市の勝山町並み保存地区、瀬戸内市牛窓地区のしおまち唐琴通りなど、各地で伝統文化の復活、音楽や絵画の発表の場と、さまざまな活動が展開されております。これらが刺激となり、歴史ある町並みは新しい姿に生まれ変わりつつあるっていうことで、今右肩上がりの経済が見込めない、それから人口もかなり急激に減少する、そういう中で皆さん何を模索しているかというと、典型がB級グルメだと思うんです。要するに、何もないけど、ない中でも何か地域を発信して、それで活性化しましょうと。やっぱりこれはその一つの典型だと思います。 赤磐市はどうだろうか。先日商工会の方が頑張って、米粉のラーメンもいろいろ工夫して取り組んでいらっしゃいますが、私はこれは旧合併前から熊山町が長いこと永瀬清子の里づくりに取り組み、その結果が今回の国文祭で赤磐市のメーンテーマになったわけです、現代詩が。そういう歴史をもって取り組んできたこの事業について、生家保存を市民の方が6年余り細々頑張って続けてきている状況に対して、最初からもう間口を閉めて、もうお金かかることできませんという姿勢ではなく、今回具体的に減築という提案をされております。今5,000万円弱じゃないかと言われておりますが、実際話し合って、ここがどこまでできるかできないかをやりながら、要するに一遍に金額を出さなくてもいいわけですし、せっかくこの生家という貴重な私たちの財産、歴史的な文化財をこの赤磐市がどうして活用しないんだろうか。逆に言えば、それが非常にもったいないと思います。このまま保存に赤磐市が手をかさないことは、実質的には崩れて、朽ちていくだけだっていう、これは明らかです。赤磐市が100%負担ができないにしても、そういう市民がまちづくりのために発信したいという意欲、これは赤磐市の総合計画の中でもありますが、市民と行政が協働して、少しでもそういう事業を進めていこうと。赤磐市は企業誘致だけを待ってるような町ではあってはならないと思うんです。自分たちが努力して発信していくこと、そういう一つのシンボリックにこの永瀬清子さんの生家というのはあるだろうと思うんです。ぜひもう一度、今回のこの減築という提案をきっかけに、とりあえず話し合う場を持っていただきたい。これは教育委員会が窓口ですが、やはりこれは企画課のほうで、まちづくりにとってこの生家保存、それからこれから観光を含めた地域の住民たちの一つの拠点になるような施設の再生という問題意識も持って議論をしていく場をとりあえずつくっていただけないだろうかと。します、しませんじゃないんです。そういう相談をしていきませんかと、そういう提案をしているんです。ぜひ、そのことについて御答弁をお願いしたいと思います。 ▼井上市長(答弁) 永瀬清子さんの生家についての保存をしたいということで活動されていらっしゃる方たちもお聞きはしております。これにつきましては、旧熊山町時代から、そういう中でソフト事業を中心にやっていこうということで、永瀬清子賞等の表彰、それから作品の整理、展示ということでやってこられております。 現在、原田議員からは、観光資源としてのこの建物を直して、観光資源へという御提案でございます。私も観光について力を入れていきたいとは思っております。そういう形でそういうことが取り組めるかどうかについては、地元の方もどういう御意向を持たれてるかということもあろうと思います。また、現在すぐにこれはやりますというようなことをお答えするようなことでもございませんので、私自身としては検討はさせていただきますけれども、今までの流れからいうとなかなか難しいというのが現在のお答えとしてはさせていただきますけれども、別な角度からも考えては見させていただきます。 ●原田そよ やはり局面が変わったと思います。流れも、世の中の流れも変わっています。要するに、大きな企業誘致や何か大きなお金をかけて箱物をつくってまちづくりをする時代はもう既に終わってる。要するに、今まさにあるがままのよさ、何もないよさっていうのが売りになる時代だということはっきりしてます。そういう意味で、長いこと取り組んできた永瀬清子の里づくりをベースにしたまちづくりの発信という側面で、今市長は考えてみたいというの大変な小さな声になってしまったんですが、まあそうおっしゃらずに、とにかく話し合いを進めて、見通しを私たちの中で立てましょう、ぜひ。結果としてだめならだめなんです、もちろん。やる前提が、結論がありきではないんです。その努力が今まで赤磐市には余りになかった。そこをやっぱり切りかえる一つのきっかけとして、この永瀬清子の生家保存という問題を考えていただきたいと思います。いま一度、もうちょっと元気な御返答をお願いします。 井上市長(答弁) 済いません、現在のところはこれについての、生家保存について取り組みますということでの方向は出ておりませんので、それは申し上げておきます。 また、そのほかの考え方ができるかどうかについては、私も検討はいたしますけれども、今までの流れの中で生家についてはハードのものは取り扱わないということで、ソフト事業を中心にやっていこうということが熊山町時代、そして赤磐市としての方針としてやってきておりますので、そういうことだけは申し上げておきます。御意見としてはよく承りましたので、よろしくお願いします。 2010年12月 2010年12月 2010年5月 2010年4月 |
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